0022「風工房物語」大原一郎さん講演会開催!

2014.02.27

カテゴリー: 活動報告

先日、ごっくん馬路村のヒットメーカー松﨑了三さんの講演会のご報告をさせていただきましたが、その感動もさめやらぬ中・2月18日、同じく四万十町きらら大正にて、もうひとり高知が誇る6次産業化ヒットメーカー・大原一郎さんの講演会を開催いたしました。

松﨑さんと同じく「四万十町まるごと6次産業化構想推進業務」の一環です。

大原一郎さん。手掛けたヒット作は中土佐町の風工房、あぐり窪川の豚まん、霧の森大福、満天の星大福などなどなど。

高知家の皆々様におかれましては、1度と言わず2度3度いや、何度もお召し上がりいただいているのではないでしょうか。

 

講演では、大原さんの代表的な仕事のひとつである中土佐町のケーキ屋さん・風工房の立ち上げにまつわるエピソードを、裏から表からじっくりと語っていただきました。

事前に四万十町の皆様に回覧・配布したチラシ。イチゴてんこ盛りです。

この日も農業生産者の方、食品加工業者の方、直売所の方、農協の方、役場の方などなど33名の皆様にご参加いただきました。

 

では、講演の内容を以下にピックアップしてご紹介してまいります。

本日も非常に役立つ内容となっておりますので、何卒メモのご用意をお忘れなく。

風工房。

国道沿いでもないこの地で、創業17年連続、年間7~8千万円を売り上げています。

 

中土佐町の海のそばにたたずむケーキ屋さん・風工房は1997年にオープン。

中土佐町のイチゴ農家のおかみさんたち8人が立ち上げました。

と聞くと、お菓子作りが得意なお母ちゃんたちが、趣味が高じて立ち上げたみたいに勘ぐってしまいがちですが、現実は真逆。

みなさん、「それまでクッキーも焼いたことがない」人たちだったというから驚きです。

 

創業のきっかけは、全国のどの農家も抱える共通の悩み「B品」対策でした。

野菜の生産者であろうが果物の生産者であろうが、生産物を育成販売する中で、必ず大量に規格外品(B品)が生まれます。

味は出荷品と同じであっても、形が消費者に敬遠される、流通の都合に合わないなどという理由で、販売できず、捨てるよりほかない状況の生産物が大量に発生しているのです。

 

中土佐町のイチゴ農家の状況も同じでした。味はいいのに売れない。

「このB品を何とか活用できないか」

農家のおかみさんたちは顔を合わせるたび話題にし、試行錯誤を繰り返してきました。

 

まず手始めに試みたのが、ジャム・ゼリーへの加工。

これらのアイテムは熟練も不要で手軽に作ることが出来ます。

ただ、それゆえに全国の果物農家はB品対策に皆ジャム・ゼリーを作って販売することに…。

結果、誰も買わないジャム・ゼリーが大量に生産され、価格競争に巻き込まれ原料代にすらならない状況に陥ることが度々。

 

価格競争では海外産に負け、勝ち残れるのは北海道富良野の…、とか栃木のトチオトメを使った…、とかブランド品のみ。

「鰹の町」としかイメージのない中土佐町のイチゴジャムも早々に大量の在庫を抱えてしまいました。

講演内容はスライドを使ってわかりやすく説明していただきました。

 

そんな状況を相談された大原さんは、おかみさんたちに「イチゴ農家が作ったイチゴケーキ屋さん」を提案します。

 

「パティシエの作ったイチゴケーキがおいしいのは当たり前、だけどここには新鮮でとびきりおいしいイチゴがある。このイチゴの鮮度・おいしさをアピールしたら勝負になる!」と考えたのです。

 

「風工房のケーキにはスポンジ生地にもイチゴピューレを練りこんでいます。チーズケーキなどにも使っています。さまざまなケーキに大量にイチゴを投入しています。普通のお菓子屋さんにはコストがかかってとてもまねできないこと。食べれば一発で違いがわかります」。

風工房のショーケース。このサイズ1本で1日最高売上80万円。

合併前の人口4000人の町でこの売り上げは、業界の人も腰を抜したそうです。

 

ただし、もともとクッキーすら焼いたことのない農家のおかみさんたち。

その彼女たちが、ケーキ作りのプロとなるには、大変な努力が必要となりました。

開店までのトレーニング期間は1年。月に1週間は大原さんが指導に入り、残りの日は宿題を出して自主トレをしてもらうことにしましたが、皆さん農家の嫁であり、母であり、農作業の重要な担い手。

生産物もイチゴだけでなく、野菜もあり、米もあり…、時間のないなかでのケーキ屋修業は、連日深夜にまでおよび、睡眠時間が削られていきます。

 

彼女たちを支えたのは、「8人のチームワークと連帯感でした」と大原さんは振り返ります。

 

1年後にオープンを控え、「イチゴ農家が作るケーキ屋さん」の噂は町内あちこちで持ち上がっていました。

「どうせ失敗するのが目に見えちゅう」

「1日1万円も売れやせんろう」

「農家の作ったケーキらあ、誰が買うか」

「甘すぎる、でかすぎる、高すぎるでしょせん百姓仕事よ」

もちろん彼女たちに期待する声もありましたが、さまざまな否定的噂話が彼女たちを取り巻き四面楚歌。

一緒に立ち上がった8人のメンバーだけが心の支えとなり、連帯感が急速に高まっていきます。

「なにくそ、今にみちょれ」

「絶対に後ろ指刺されんように頑張ろうね」

と、どんどんモティベーションがアップしていきました。

 

この否定的な噂話が彼女たちのやる気を喚起したのと同時に、実はヒットの要因にもつながったと大原さんは分析しています。

「全然期待しないで冷やかしで入った客が、意外な味の良さに驚き、口コミがプラスにプラスに変化して、『あの店のケーキはむちゃくちゃおいしい!』という評判に代わっていったのです」。

 

オープン前に大原さんが行った対策はもう一つ。

「イチゴ農家の作るケーキ屋さんがオープンする」という情報をメディアにどんどんアピールしていきました。

「高知県人ほど自分の県が好きな人はいません。これはよそにはない県民気質。新聞もテレビも面白がってじゃんじゃん掲載してくれました」。

熱心に聞き入る四万十町の皆さん。

 

賛否両論が渦巻く中、それでもメディアで話題になった風工房は1997年12月15日、イチゴの日メンバーの不安と期待の嵐の中、オープンします。

 

「朝10時開店でしたが、9時ごろから店の前に行列ができ、車が数珠つながりで海の方まで伸びていきました。

ショーケースの中のものが次から次へと売れていき、しょうがないから僕がメニューにないケーキをアドリブで次から次へと作り、スタッフも、それが何ケーキなのかも分からないまま次々に売っていく、お客さんも長時間並んで、手ぶらでは帰れない心境になっていて、何のケーキだかわからないまま、5個、10個と買っていく、というような状況。

いよいよ、このままだと明日売るものがなくなる~、という悲鳴が上がって初日は早めにお店を閉めざるをえませんでした」。

 

風工房の初日の売り上げは、良くて20万円という大原さんの予想をはるかに超え、33万6千円でフィニッシュとなりました。

 

「で、結局次の日も盛況が予想されたので、閉店後仕込みを開始、この日から約半年間は、毎晩夜中の2時3時は当たり前で、連日作業に追われていきました。

僕も店に泊まり込みましたが、家の仕事や農作業のある彼女たちの睡眠時間は2時間程度、町のみんなに『そらみたことか』と言われたくないという思い、それから補助金を受けている責任感が彼女たちを動かし、一致団結して支え合って乗り切ったのです」。

大きな身振り手振りで熱のこもったスピーチ。

 

当初、家事、農家の仕事を脇に置いて、ケーキ屋事業にいそしむおかみさんたちに対して家族からも不満が噴出していました。

離婚騒動にまで発展した家もあったそうです。

そんな状況もメンバー8人が団結して、旦那さんを説得に行くなどして乗り切っていきました。

 

そして、気が付くと年商8千万円。

否定的な噂話はすべて払拭され、風工房は地域からも県内外からも絶賛されるケーキ屋さんに育ちます。

 

「そのうちに、家族の方の彼女たちに対する見方が変わってきたんです。

子どもたちが店に顔だして洗い物手伝ったり、店にぶらっと立ち寄ったおとうちゃんたちがテーブル拭きを手伝ったり。

お母ちゃんたちが、家のヒーローになっていったんですね。

それまでてんでばらばらにご飯を食べていた家庭が、店の話題で食卓を囲むようになって、家族の団らんも生まれてきました」。

あったかい笑顔がまた魅力的で、話に引き込まれます。

 

風工房の成功を「高知市内でも10年商いを続けるのが大変な状況なのに、彼女たちは17年間、年収7~8千万円をキープしています。あっぱれです」と語る大原さん。

 

もう一つエピソードを紹介してくれました。

「風工房のオープン後、別の仕事で知り合った東大の農学博士の方に風工房の事を紹介した所、後日視察に来てくれて『とても感動した』と褒めてくださったんです。

その方は国の諮問委員会の委員で、風工房をモチーフに『これからの国の農業政策は1次産業×2次産業×3次産業の6次産業化だよ』と提言されたのです。

つまり、現在国が進めている農業の6次産業化の方向性を示した先進事例が、この風工房だったのです」。

 

諸説あろうかとは思いますが、現在の6次産業化推進のモデルが中土佐町のイチゴ農家が作ったこの小さなケーキ屋さんだったとあれば、本当に痛快なことですね。

まさにレジェンド!

会場からもたくさんの質問が寄せられました。

 

前回の講演で松崎さんも「とにかくやらなきゃ始まらない」と言われましたが、大原さんも同じことを語ってくれました。

 

「風工房の場合は、当時73歳だった一番の高齢メンバーが『このままやったらいかんがやき、やってみようやないか』とみんなに語りかけた時に、すべてが動き始めました。

今、いろいろなところから相談を受けていますが、僕はいつも、『もう決めたのなら、成功してるのと同じですよ。

後はやるだけです』と、気持ちを奮い立たせる意味も込めて言っています」。

 

 

さて、2回にわたり開催させていただいた「四万十町まるごと6次産業化構想推進業務・講演会」いかがでしたでしょうか?

 

高知県には様々な6次産業化の先行事例があり、松﨑さんや大原さんのような敏腕アドバイザーもおります。

補助メニューに関しては、前回ご紹介した「高知6次産業化サポートセンター」さんに細かくアシストしていただくこともできます。

 

ご興味のある方は、この機会に初めの1歩を踏み出されてみてはいかがでしょうか?

高知県の豊かな農林漁業をさらに伸ばしての発展、相愛でも皆様のお役に立てればと考えております。

開演前、泣き出した赤ちゃんを発見し、流し目スマイルであやす大原さん。

どうもありがとうございました!